2013年9月25日 16時24分
僕の挑戦は、無事に終わりました。
最後の更新として何を書けば良いのか迷ってしまうほど、毎日にドラマがありました。
晴れの日だけではなく、平坦な道だけではなく、追い風のときだけではありませんでした。
しかし、それでも走り切ることが出来たのは、日本中の方たちの応援があったからだと自信を持って言うことが出来ます。
僕は1人になってから、寂しさを感じることはあっても、孤独を感じることは一度もありませんでした。
日本中の方たちに約束してきた「日本列島縦断」を、無事に達成することが出来て安堵しております。
最後は、僭越ながら、僕にとってだけの夢ではないと感じながらペダルを踏んでいました。
僕は自分の足だけで日本中を見てきました。
おそらく、隣で、同じ時間に、同じ風景を見ている観光客とは違う風景を見ていたと思います。
時には、涙に霞む夕焼けでした。
また時には、標高1,600mに立ち、汗を拭いながら見る山並みでした。
僕は日本列島を自由に旅してきました。
この自由とは、決してfreedomという意味合いをもつ自由ではありませんでした。
自転車で移動しているという制約上、観光に時間をかけられるわけでもなく、見たいところを全て見れるわけではありませんでした。
しかし僕は、きっと誰よりも美しく映る風景を見てこれたのではないかと考えています。
この自由とは、libertyです。
自分の足だけで日本中を見てこようと決断した人間にしか見ることが出来ない景色を見る自由だったと思います。
これは、旅に出る勇気、進み続ける勇気をもって勝ち取った自由です。
本当に最高の夏でした。
あの時見ていた光景と、今振り返って見る光景は、時として全く異なります。
北陸で1人旅となってから1週間以上にわたって雨に打たれ、事故に遭い、ホイールが壊れたとき、本気で旅をやめて帰ろうと思いました。
それでも辛抱強く進み、何とか行程を守りきって近畿に抜けると、ゴールまでの約20日間は雨に一度も打たれることはありませんでした。
北陸編の最後の記事でも振り返ったように、まるで神様が1人になった自分を試しているかのような時間でした。
僕はあの時、帰らずに旅を続けて良かった。
あそこで帰っていたら、きっと一生後悔していたと思います。
今、目を閉じてみると、この旅の良い思い出だけが蘇ってきます。
旅とは、そういうものなんだ。
決して易しいものではない。
だけれど、何かを乗り越える度に、それが自分の芯に重なっていく実感を伴うものなんだ。
僕はこの旅で、自分の強さを知り、心のなかによぎる弱さに打ち克ちました。
この旅で得たものは、一生の宝ものです。
決して目には見えない財産です。
生涯大切にし続けることが出来る思い出です。
末筆となりまして恐縮ですが、僕は、僕の力だけで日本縦断を達成したわけではありませんでした。
一緒に走り、そして別れた後も毎日のように応援の連絡をくれていたM島とつっちー。
友人、知人、家族、親類、半年後に入社することになる会社の方たち。
twitterで出発の時にフォローしてくれ、それから最後の日まで応援の言葉を投げかけてくれる方も居ました。
そして日本中で出会った方々。
中にはブログをぜひ教えて欲しいと申し出てくれ、何度もコメントを下さる方も居ました。
皆さんの応援なしでは、決して僕は走り切ることが出来ませんでした。
この旅で最も美しいと思ったのは、日本中で触れてきた優しさでした。
48日間と長い間、僕の旅を応援して下さりありがとうございました。
この記事が、僕の旅を綴る最後のページです。
これまでの記事のまとめページを作りましたら、きっとそこから僕が更新することは無くなると思います。
東京に帰るのは、9月29日(日)鹿児島空港12時45分発、羽田空港14時30分着のJAL1870便となります。
僕の挑戦は終わりましたが、家に帰るまでが旅と言います。
もうキャンプ道具などは全て自宅に郵送しましたので、鹿児島中央駅前にあるビジネスホテルに3日間泊まりながら鹿児島市内を見て回ろうと思っています。
夕焼けに赤く燃える佐多岬よ。
僕は絶対にこの美しさを生涯忘れない。
池田
【ご報告】
家庭の事情で旅から離れてしまったM島ですが、来年の夏、もしかすると僕と別れた新青森駅から佐多岬を目指して旅の再出発をするかもしれません。
そのときは、このブログの管理権をM島に渡し、僕も彼の旅の応援をすることになります。
ぜひ1年後からの更新をお楽しみに!
より大きな地図で 【48日目】串間~佐多岬 を表示