池田です!
きっと、これからの更新はつっちーの最後の記事のあと、残りは全て僕のものになると思われます。
M島ファン、つっちーファンの皆様には恐縮ですが、応援のコメントが本当に励みになっておりますので、面白いと思って読んでいただける限りこれからもよろしくお願いします!
今日はつっちーとの惜別の朝。
僕は県道70号に入って磐梯を越え、新潟方面に。
つっちーは国道4号をそのまま南下して4号の最終地点である日本橋を目指す行程に入る予定です。
いつものようにコンビニで多めのご飯を食べたあと、缶コーヒーを片手に「旅とは何か」「かっこいい男とは何か」という終わりのない話をしていました。(これ、本当に毎朝話し合ってました。)
そんな話の時間も終わり、とうとう僕らはそれぞれの道へと旅立つ時が来ます。
予定より少し遅めの8時過ぎだったと思います。
「じゃあ池田さん、僕、トイレ済ませて来ます!終わったら行きましょう!」
と言って、コンビニの中に入っていくつっちー。
1人でストレッチをしながら待っていると、僕の前に1人の35歳くらいのお兄さんが座りました。
「日本縦断?どこから?」
「稚内の宗谷岬です!」
「へえ〜、俺もねえ、旅人でねえ、……」
という話が始まり、つっちーが帰って来ても、どんどん話のボルテージが上がっていって出発できそうな雰囲気すら消えてしまいました(;´д`)
なにやら旅の途中で、日本全国各地の歓楽街の女の子のいるお店で500万円ほど溶かしてしまったとか…。
そんな武勇伝を延々と語ってました。
男って何でこうなんだろう……。
1時間ほど話した後、
「じゃあ頑張ってな!!」
と気持ちよく言って去って行きました。
これで出発だ!と思って僕もトイレを済まし、コンビニから出てくると、今度はつっちーが店の裏の方でお兄さんに捕まっています。
僕は気配を消して、表の方で行程を確認…。
しかし、すぐに見つかって手招きで呼ばれてしまいます。
つっちーは、お兄さんのスマホで旅コレクションなるものを見せられていました。
僕も見てみると、そのコレクションの9割くらいは女の子…。
中にはバンドのライブで、前の人の脚をムービーで撮っていたりするものもありました…。
全員の名前を覚えているあたりは流石です。
池田「この人は誰ですか?」
お兄さん「ん?仙台にいる彼女だよ。」
…
池田「この方は?」
お兄さん「これも彼女。札幌に住んでる。」
みたいな感じで、本当に日本中の歓楽街に彼女がいるらしいです(;´д`)
何でもこのお兄さん、母方が天皇家、父方が源頼朝に通じる家系だそう。
そして3年後に国会議員選挙に立候補するつもりらしいので、応援よろしくとのことでした。
び、微妙(;´д`)
変な人ばかり寄って来る旅です。
これが、旅行と旅の違いかもしれないですね…。
基本的に僕らは、変な人ばかりにモテます。
そんな話をしていたら既に10時!
コンビニに到着してから既に2時間半が経過しています!!
お兄さんに別れと選挙の応援を伝え、僕らも4号と70号に合流する13号の交差点に向かいます。
涙無しには語れない、つっちーと一緒に夢のような時間を過ごした旅路。
それが分岐する交差点に着く頃には、僕の目にも、つっちーの目にも涙が溢れていました。
しかし今日はお互い、とてもハードな一日。
2時間以上も風俗王に時間を奪われてしまっているので、本当に短い時間で別れを済ませます。
男同士の、全力の握手とグータッチ。
「事故るなよ。」
「池田さんも気をつけてくださいね。」
「じゃあな。絶対に磐梯を越えてくるから、待ってろよ。」
そんな会話が、僕らの別れでした。
M島、つっちー、このブログを見てくれていると思うから、ぜひ心に留めておいて欲しい。
今回の旅は、これで全員がばらばらになったけれど、この先、またどこかに旅に行こう。
旅行ではないぞ、旅に行くんだ。
次は自転車で行くことは出来ないかもしれないけれど、夢の続きを、また3人で見よう。
それが40年後だとしても、きっと幸せに自分の年輪を重ねていっているはずの俺たちは、また、この青春の夢の続きに戻れるはずだ。
ちょっと記事を書きながら涙ぐんできました。
よく、感情が動いている時に文章は書かない方が良いと言われるけれど、書き切っちゃいたいと思います。
そして、僕は磐梯に、つっちーは日本橋に向かいます!
福島駅から西へ70号で20キロほど進み、やっと磐梯といわれる山塊へと取り付きました。
↑頂上が見えません…。今からこれを自転車で、そして1人で登ります!!
そして、あっという間に急激な坂になっていきます。
関東によくある峠は、最初は「アプローチ」と呼ばれる緩やかな傾斜があるものなのですが。
↑勾配11%という標識が多かったように思います。とにかく踏めない、進まない、汗だく、、という感じです。
何とか蛇行を繰り返しながら、少しずつのぼっていきます。
日本広しと言えど、日本縦断や日本一周の行程の中でこの山に挑戦している人はめったに居ないでしょう。
実はこのポイント、まだ有料道路のゲートすらくぐっていません(;´д`)
この時点で10回以上、このまま撤退して、4号をひた進んでいるつっちーを追いかけようか悩んでいました。
正直、この坂を15キロほどある荷物を持ってのぼれる自信が全くなかったのです。
「この旅一番のヒルクライムである磐梯を諦めても、東京に行って、そこから1号で西を目指すことだって出来るんだぜ~(クックックッ)」
「いやいや池田くん!M島、つっちー、そして応援してくれている皆のためにも日本屈指の山岳ステージへの挑戦を続けるべきだわ!」
そんなやりとりが心のなかで延々と繰り返されていました…。
50m進んで、また迷って5mほど下って、ブレーキをかけて、またのぼり始める。
そんな序盤のヒルクライムでした。
途中に電波が入るところがあって、そこでM島に20分ほど電話。
色々と励ましてもらい、またリスタートです。
なんだか不思議と足が回ってくるような感じ……。
ここからは、意外とさくさくとのぼっていきます!!
通りすがっていく車の助手席から、「がんばれー!!がんばれよーー!!」と大声で応援してくれるのが本当に力になりました。
鉄下駄をはいた修行僧のような気分でした。
↑約800m地点の風景。見えているのは福島市街地だと思います。これだけでも、かなり立派なヒルクライムです。
↑とうとうやってきました標高1,000m地点!自分のヒルクライム記録をこれからどんどん塗り替えていきます。
↑途中の休憩所にはたくさんのトンボ。涼しく、自然が綺麗だから山の上に来るのでしょうか。
↑1,400m地点。もうほとんど全てを持ってかれています。無心に近い状態で立ち漕ぎで標高を稼いでいます。
↑雲の高さに到達。山岳ステージから、天空ステージに突入です!!
↑山肌も禿げてきて、いかにも火山っぽい風貌をあらわにしてきました。ここから、今まで画像でしか見たことがなかった磐梯のダイナミズムの連続です。
↑素晴らしい道。でも、もう当分はここに自転車で来ることはないでしょう…。それが残念です。
↑噂に聞いていた火山ガス注意の看板。ここで停滞していると危険です!
言葉は、もう既に必要ありません。
感無量で、涙を流しながら走っていました。
30回以上、もう諦めて下ろうと思いました。
きっと、下にはまだまだ楽しい道があるはずだとも思いました。
一日100kmも走っていたら自転車で日本縦断なんて簡単に出来ます。
体力も、筋力も、時間も、ザックに詰め込んだ食料と水の残りも気にしなくても済みます。
そういう道に戻ろうと、何回も思いました。
だけど、そこで踏ん張って、とにかくペダルを踏んで、何とかのぼって、広がっていたのがこの光景でした。
一人旅が始まった初日。
この感動を彼らと共有できないのが本当に悔しい。
本当に、本当に悔しいです。
風俗王のせいで頂上で黄昏れる暇もなく、明るいうちに下れるところまで下ります。
もともと裏磐梯という場所まで少し登り返す予定だったのですが、そんな時間はなく、地図を見て猪苗代という町まで降りてきました。
この美しい夕焼けの感動も、1人では寂しい。
僕の身に余る光景に感じます。
これから、この感覚に慣れることが出来るんだろうか。
それほど、M島とつっちーと走ってきた20日間は楽しかった。
そんなことを言っても仕方がないので、どんどん前に進みたいと思います!
しかし、Yahoo!天気を見て台風接近という情報に少し焦りを感じています(;´д`)
かなりセンチメンタルな池田でした。
次からはしっかり書きたいと思います(^^)v
より大きな地図で 【21日目】福島~猪苗代 を表示
ちゃんとみてるからなー!
無理せず楽しく、二人の分も走ってくれ!(^O^)
今の池田なら、磐梯越えればあとは阿蘇まで平地みたいなもんだろ(笑)
M島さん
サンクス!!
ちょっと観光の要素が抜ける旅になるかもしれないけれど、楽しい旅になるように走り抜けるよ~。
まずは8号を安全に通過出来るように、情報収集をしっかりとやって新潟を出発するね!
感動した。
一人、辛いよな
周りに人が居なくて寂しいから辛い、というのももちろんあるだろう、けど、
感動や楽しみを分かち合えないのが一番辛い
2年と少々、同棲しててそう思います。
男なんてずっとセンチメンタルだろう!
センチメンタルジャーニー♪
uzさん
今日は電話ありがとう!
楽しかったよ!
10月に入る頃には東京に生きて戻るね。
それまでに東京でやりたいこと考えておく!
越えられない山はないのだなぁと朝から感動しました。
前に進んでるような気がしなくても、足を前にだせば確実に進める。そして、辛いことも乗り越えられる。
旅は、人生ですね。
イケルミさん
はい!出発前にイケルミさんに言っていただいたこと、それに東北の旅先で松尾芭蕉の生まれ変わりのようなおじさまにも似たようなことを言われたのを覚えています。
「旅は人生の縮図である。この時間で、精一杯、知恵をつけて東京に戻りなさい。きっと旅で学んだことが、自分の生き方に反映されているから。知識は老いてもつけられるが、知恵だけは、君たちのような若者にしか培うことができない。」
この言葉の意味に気づくのはまだまだ先のことだと思いますが、解釈を急がずに旅を楽しみたいと思います。
旅行とは言い難いものになってきましたが、引き続きがんばります!!
おじさま…深いですね。
年齢とともに新しいことを覚える能力は衰えるものの、知識を活かす能力は増すと新聞の記事に載っていたそうです。
でも、無理しないでくださいね。
ときには立ち止まって周りを見たり、振り返るのもいいもんですよ。
イケルミさん
おじさまとは逆ですね!(笑)
ですが、寒くなったら鹿児島へ、そして暑くなったら東北へと2年も自転車に乗って旅をしているおじさまの言っていることなので、絶対にその言葉には確信があるんだと思います。
もしかしたら、その知恵を活かすという能力を早く身につけろ、ということなのかもしれませんね。
今のところついてきた知恵で実感があるのは、雨に濡れない野宿場所を探すくらいのものですが(笑)
もちろん、観光も楽しんでますよー!
美味しいものもいっぱい食べてます!
ただ、毎日雨に打たれすぎて修行僧のような気分なのです。
これは1人だと、精神的にかなりキツイです(T_T)(笑)